院号・居士号と過去帳

 法名は生前、死後ともに付せられるが、身分によっては各々相違がある。俗説に、居士号は侍士族に付けられ、信士・信女号は町人百姓に付されるときかされていたが、実はそのようなこよはなく、それは法名の尊称段階によるものである。
 古書に「道を守りて見ずから怡び、欲寡くして徳をつむ。故に居士と日ふ」とあり、また『法華教演義』に「居士とは清心寡欲にして道を以て自ら居るなり」とあるが、日本・中国では、有道の処士を称し、後世には、死後の法名にも、この称を付し、将軍や大名、身分の高い者は大居士、武士たちには居士号を付し、一般には信士号を与えた。
 さらになお、加増尊称として院号、院殿号や、官名等を付すようになった。もとは天皇に謚号を奉らず院号を称したものであるが、関白藤原兼家が薨じ、法興院如実と称したのを嚆矢としてから後、足利尊氏が等持院となったように、将軍は院号、さらに降って、江戸時代になると各大名、閨室には、すべて院殿号が付されるようになった。
 元禄殿中刃傷事件の浅野内匠頭長矩は、「冷光院殿前少府朝散大夫吹毛玄大居士」その正室阿久里夫人は、髪を切って、はじめ寿昌院の法名を与えられたが、将軍生母桂昌院のそれをはばかって、瑤泉院と改め、他界後「瑤泉院殿良瑩大姉」と名付けられている。
 なお、法名に禅定門、禅室を付するものがある。仏門に帰し、剃髪染衣せる居士をいうが、女の落飾には、禅尼、または禅定尼とする。
 高貴の禅定法皇、禅定殿下、又は禅閣と称せられた例もあるが、近ごろでは、浄土宗などで、伝法を受けた信士を、禅定門、信女を禅定尼と称しているようである。
 各宗門各寺には、過去帳が備えられていて、法名、没年、俗名等が記載されている。過去帳は、先祖を探すためには、是非とも披見検討しなければならないもののひとつである。それだけに、正しい知識をもってあたることが肝要であろう。


【佐々木杜太郎氏論文:歴史読本(S47.10)新人物往来社刊】